2017/04/29

木を植えた人

2016年最後の夜、ジャン・ジオノの木を植えた人を読んだ。
 
「この人と一緒にいると、心が落ちつく」
 
呼吸をするように燃える薪の炎が、木を植えた男のイメージと重なった。
 
「人間は破壊するばかりの存在というわけでもなく、神に似た働きもできるのだ」
 
ジャン・ジオノの木を植えた人は、戦争の影響をまったく受けなかった。彼が実在するかしないかは、問題ではないだろう。ジャン・ジオノの木を植えた人は、自分の心の中にいる。
 
明けて2017年、初詣は宇佐八幡神社に、そのまま明王寺に行って、大楠と桜の縁を結んだ。まるで花道のように、道中でいくつものケセランパサランを拾った。明王寺で引いたおみくじには
 
「わがおもう 港も近く なりにけり ふくや追手の かぜのまにまに」
 
とある。風に守られているようで、ホッとする。

神社の鳥居の下に落ちていた、白く輝く小さな綿毛。季節が変わる頃に、この美しい羽根は、桜の花に生まれ変わるだろう。

世間の流れとは別に、自分の中に流れがある。その風に乗れば、何処までも飛んでいける。その風は何処から吹いているのだろうか。

世間の流れに合わせなくても、内なる大海に帆を立てれば、ワグナーのように舟は進む。

 
 

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