2016/02/06

辻風


散歩はたくさん続けてやるように、また大いに自然を愛するようにしたまえ、というのもそれが芸術をもっともっとよく理解するための真の道だからだ。画家たちは自然を理解し、自然を愛し、その見方をわれわれに教えてくれる。(ゴッホの手紙より、ロンドン1874年1月、テオ宛て)


呼ばれたような気がして、近所の宇佐八幡神社に。いつもするように、樹齢八百年の大楠に手を触れた瞬間、ひゅるるるんと、耳を撫でるように、後ろから風が吹いた。気持ちよくて、何度か試したけど、一度きりだった。風はないけど、足下にはうつほがある。ああ、この穴から吹き上がったのだなと、直感した。それから耳の後ろに、小さな辻風(つむじ風)が、いつまでも残っているような感じがした。この鎮守の森は、本人にしかわからないような霊験を通して、なにか大切なことを伝えようとする。

今朝、森のなかで、ふとゴッホを想った。あの小さな辻風が、ひゅるるるんと螺旋を描いて、星月夜のように、耳の後ろで回転していた。渦に巻きこまれてはいけないけれど、そばにいるなら心強い。いつか自然に帰るその日まで、いろんな風に吹かれながら、自分の歩幅で歩けばいいのだと思う




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