2015/01/05

剣の徴

2015年、元旦の初詣は焼山寺に。路面が凍結していたので、へんろ道を歩いて登った。熊野古道によく似ていて、道は険しいのだけど、風情があって、吹雪の舞う荒道は、厳しくて美しかった。こういう機会がないと通ることはなかったので、お大師さんにこの道を行けと導かれたのだと思う。整備されて固くなった道路ではなくて、昔の人と同じ目線で山を知ることで、信仰の本質を考えさせられた。深くて豊かで、とてもいい山だと、あらためて思う。ここに寺を建てようよと願う気持ちを、身近に感じられたような気がした。

翌々日(1/3)、屋根の修理をしていて、不注意で足を切ってしまった。傷が深く、筋肉まで切れていたので、しかたなく中央病院の救急医療センター(ER)に。二層縫いで、皮膚の層は九針。たいした傷ではないけれど、しばらくは歩きづらいので、怪我をする前に初詣できたのは幸運だった。それにしても去年に続いて、ERにお世話になるとは思わなかった。いままで病院にはほとんど縁がなく、手術も入院もしたことはなかったし、皮膚を針で縫ったことさえなかった。神山に来てからは風邪もひかないし、病気もない。内(生命)は元気なのだけど、なぜか思いがけない外傷が続く。なんかあるのかなと思っていて、家人に言われて気づいたのだけど、今年は数えで厄年。去年は前厄。気になったので調べてみたら、厄年の起源は中国の陰陽道。吉凶占いを元にして、安倍清明が平安時代に拡めたと言われている。厄とは役。こちらの字感の方が腑に落ちる。なにかの役が見えない世界から、この年に徴(しるし)として与えられているとしたら、それが傷みや災いだとしても、恐くはない。たとえどんなことでも、その人にしかわからない、なんらかのメッセージなのだから。

僕はこう思う。ふたつの傷は、いずれも日本刀がかすめたような傷。剣(山)の透明なエネルギーが、時空を越えて命に触れたのではないかと。そんなふうに考えると、小さなこの傷が、なんだか誇らしく思える。