2014/08/06

睡蓮


お線香がなくなったので、焼山寺まで買いに行った。陽射しは強いけど、山の頂上は涼しかった。ふと池を見たら、鯉が睡蓮の葉を日よけに使っていた。かわいい。こういうふうに使うとは思ってもみなかった。睡蓮はなんとなくこういう姿で水に浮かんでいるわけではなくて、鯉たちの日傘であり、お遍路さんの袈裟。水の中で生活をしていない私たちの目は、つい花に注目してしまうのだけど。その丸い日傘の葉は、鯉たちを強い陽射しから守っている。

ふとモネの絵を思い出した。


彼の代表作「散歩、日傘をさす女性」は、彼が愛した妻、カミーユ。

モネは「死の床のカミーユ」を描き、病により死を迎えた妻を、永遠という記憶に残したあと、終の棲家としたジヴェルニーで、後半生を「睡蓮」に捧げる。日傘をさす女の絵は、まるで鯉のように、下から空を見あげるような構図だった。モネは池に浮かぶ、その丸い葉を執拗に描いた。水の中に漂うものに、祈りを捧げるように。水面は生と死の鏡のように、秘密を抱えている。ここから先はあなたが住む世界ではないよとでも言いたげに、青い空や緑を撥ねて、キラキラと輝いている。モネはこの世界に共存する、別の世界を見つめていたのだと思う。見つめているものに、見つめられていた。


 
『人は私の作品について議論し、まるで理解する必要があるかのように理解したふりをする。私の作品はただ愛するだけでよいのに』Claude Monet
 

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