2013/08/15

月影

黙祷の焼山寺から帰宅後、昨晩焚いた、玄関先の迎え火の蝋燭の缶のなかに、ヒグラシが黒こげになって横たわっているのに気づいた。昨日の暗い夜を彷徨って、炎のなかに、飛びこんでしまったのだと思う。飢えた老人(帝釈天)を助けるために、自らの身を食料として捧げるべく、火の中へ飛び込んだ月の兎を思い出した。昨晩、迎え火の写真を見たときに(ああ、太陽のように見えるなあ)と思っていたので、深く考えさせられた。真夜中の太陽が燃えつきて、真昼の月になったのだ。その月影は、ヒグラシの捨身。今日が終戦記念日ということも、偶然ではないと思う。

 


最近ちょっと不思議なことが続いている。とりたてて話すようなことでもなく、誰の前でも平等に在る自然や、個人的で見過ごしてしまいそうな小さき事象を、大きな目で観察しているだけなのだけど、それが現実に、目に見える形やタイミングで具現化するのを体験し続けていると、信じる気持ちというものの奥深さと、無限性を実感する。




こうして写真を時間軸を逆にして眺めていると、まるでヒグラシが燃えていたかのように思えてきた。ほんとうはそうではないという科学的な検証も、この強い確信を揺るがすほどの腕力はない。私たちは時間とは過去から未来に流れているのだと、当たり前のように思っているけども、肉体を超越した存在なら、まるで鯉が瀧を昇るように、未来から過去にさかのぼることもできる。いまこのように生きていられる奇蹟を思い出させるために、ヒグラシは終戦の日を狙って、炎に飛びこんだのだろう。


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