2012/12/26

光る花

昨日は川の石を拾っていた。石をじいーっと見つめていると、頭がからっぽになってしまう。いまは落ち着いたけど、ここ(神山)に住み始めた当初は、取り憑かれたように石ばかり拾っていた。このへんの川辺の石は色も形も美しく、多種多彩なので飽きることがなく、巨石も目眩がするような歴史を宿して、ちゃんと残っている。石や流木、ひっくるめて自然には、人間がどのようにもがいてもかなわない匠(たくみ)がある。そこに学び、まずはとことん(気持ちのよい)絶望をして、自分とはなんぞや、人間とはなんぞやと自問自答することから、はじめられることがあるのだと思う。お部屋にアートもいいのだけど、お部屋に石、窓辺に流木もいいものです。一番手厳しい師匠がそばにいるようで、安らぎがありますよ。

石と言えば、すこしまえに熊野に行っていて、帰ってきてから熊野と那智のことを調べたら、ああそういうことだったのかという発見がたくさんありました。なにも調べずに自分のタイミングと地図だけで出かけたのだけど、調べてから行くよりも、帰ってすこし間をおいてから調べると、そのときはよくわからなかった発見があり、いやおうなく心に刻まれるモノやコトがある。しらなかったのだけど、1400万年前の火山活動の結果、那智から熊野にかけての沿岸部一帯は、銅、硫化鉄、金、銀などの鉱床に恵まれた地帯だったらしく、熊野古道はかつての秘宝、水銀の道だった。ようするに鉱石的な、特殊な磁場がある土地だったということで、そういう歴史が、熊野の気配を作っていたとしたら、僕の羅針盤を動かしていた見えない力は、地下にあったのだ。人間は自然の一部だから、自然の見えない力に、たえず影響を受け続けるのだと思う。だからそのことを忘れて、反すれば、歪みが生じる。だとしたら、物言わぬ自然や、今に伝えられてきた(大きな意味で)芸術とは、われわれにとっての大切な地図であり、道標なのだと思う。自分でも気づかないような深い場所にある羅針盤の在処を示し、道を思い出させてくれるものであり、そうでなければならないものなのだと思う

  
                          ★

時間の都合で、しかたなく途中で引き返した熊野古道。その入り口で、ちょっと不思議な体験をした。森の入り口で、まるで誘いこむように、きらきらと輝いているものがあった。それは大きな白い花だった。宮沢賢治のガドルフの百合のようにも、白い彼岸花のようにも見えた。その花は、まるで森に誘う(いざなう)ように、ゆらりゆらりと、手まねきしているように思えた。森に入る直前の興奮状態だったので、天啓のような、ある奇跡的な出来事のように思えて、手を合わせたいような気持ちになった。

よく見ると、たまたま強い木漏れ陽が、スポットライトのように、小さな一本の木だけに当たっていただけだった。それはいわゆる勘違いのようなもので、大きな声で人に話せるようなことではないのだけど、だから(光る花を)見ていない、とは言えないと思う。たとえ一瞬でも感じた大切なものを、じつはちがうんですよと、なかったものとして、いとも簡単にかたづけることは僕はできない。実際に一本の木だとわかったあとでも、ああ、これは花なのだと、どこかでしみじみと納得している自分がいる。それはひとときだけ、そのタイミングでしか感じることができなかった有様に、いつも寄り添っているはずの、もうひとつの世界の破片を重ねて見ているからだと思う。儚い(はかない)からこそ、切実であって、心に残る点になり、その点と点が結ばれることによって、現在進行形で育まれていく物語がある。大昔のひとは、いまよりもはるかに変成意識状態になりやすかったのだと思う。そのころに心の底から戻りたいとは思っていないのだけど、だからこそ育むことのできた物語とリアリティのことを、うらやましく思うし、今に引き継がれてきた磁場を通して、強い影響を受けているという実感もある。今と昔を、とまどうことなく行き来できたとしたら、あの日あのとき、しかたなく途中で引き返さなければ、その先でなにを見たのだろうと思う。





0 件のコメント:

コメントを投稿