2012/08/03

モネの裏庭 北斎の夜

裏庭にイーゼルや画材を常備して、天気のよい日はこの場所で制作することにした。ここならほとんど屋外なので、雨が降らないかぎり完全に自然光で絵が描ける。鳥の声や虫の声、風の音や太陽の光がダイレクトに伝わってくるので、気分がよくて、とてもはかどる。天気の良い日は日中は外、夜は室内とわけて制作できればベストかな。垣根のない外からの情報を、すこしでも身にまとうことによって、カタツムリのようにゆっくりと、内なる世界で進む時間がある。そのことを大切にしたいと思う。



裏庭で制作していたとき、モネが気になってしかたがなかった。モネは屋外制作にこだわった。印象というよりも、光=色の探求のことだと思う。夜は夜で、葛飾北斎が気になってしかたがなかった。浮世絵は印象派が追求した世界観とはかけ離れているように見えるのだけど、それは表面上のことで、同じ大河を歩く、対岸者だったと思う。こちらの岸が昼なら、あちらの岸は夜と。夜は光が閉ざされるのだけど、だからこそ浮きあがる世というものがある。印象派と言われている人たちが浮世絵に惹かれた理由は、説明されなくとも、なんとなく直感でわかる。表面を追求するうちに、反転した対岸の世界、浮世の絵に魅せられた。川面の不可思議な文様を見るうちに、服を脱いで飛び込みたくなったのだと思う。 浮世絵師は水中から空を見上げて、その文様に超自然を見いだした。光のない世界で通用する理論や物語のこと。北斎の富嶽三十六景の波の傑作、あの波の先は獣の爪のように見える。実際に似たような波形を作り、その波の先を高性能カメラで撮影すると、ほんとうに獣の爪のような絵が撮れる。人間の目で追えない波形なのだから、予知だと思う。富士山と波のシンクロも、小手先の技術とはけして言い切れない。波は波でなく、変幻自在の事象。波とは獣でもあり、富士山でもある。そのような融合による超自然(ハイパーリアリティ)の創出。富嶽三十六景にはそのただならなさの匠が詰まっていて、その意味では預言書とも言えるだろう。

鎌倉の彫刻芸術の黄金期、その突破力にも同じことが言える。日本人は印象派のような自然へのアプローチよりも、自分の内にもともと眠っているものを浮き上がらせて融合させる性質のほうが特化しているのかもしれない。それができるかどうかは、土壌だと思う。江戸時代と今も、鎌倉時代と今も、まったく土壌が違う。 土壌とは、時代だけのことではなく、その心の在りようと言うのか、心処というのか。北斎は売れっ子だけど、厳しい環境にいた。借金に追われ、放蕩息子のために毎朝除魔の獅子を描き続け、肉筆画はパトロンのおかげでなんとか制作することができた。それでも絵は楽しそうで、愉快で、自由。 モネが睡蓮を描き続けたのは、三途の川に睡蓮が咲いていたから。その目はゆるやかに自由で、あたたかく、やさしい。

先人たちのぬくもりはすぐそばにある。作家が此の世にいなくても、作品に意志が残っている。そこにいたぬくもりを、すぐそばに感じることができる。その意志を継ごうとするものがいる。表現って、そういうものだと思う。


Water Lilies

1915年頃キャンバス、油絵 151.4 x 201 cm Claude Monet
   


「富士越龍」

1849年 絹本着色 一幅 署名「九十老人卍筆」 印章「百」 95.8×36.2cm


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