2012/05/17

その息を感ぜよ


陽射しが強い日には、メダカの水槽の水草から気泡が出てくるのがよくわかる。植物の呼吸、光合成は、水の中だからこそ、私たちに見える。もちろんそのへんの植物ひとつ、雑草ひとつも、この水草と同じように、ちゃんと呼吸をしているのだけれど、残念ながら人間の目には見えない。クマバチには見えるかもしれないけど。

空気を水のように描く世界観というのは、近代以前にはあったのだろうか。映像で頻繁に使われ始めたのは記憶に新しい。弾丸を避けるなどの娯楽映像から始まって、いまやスポーツなどのハイライトやダンスにまで普及している。驚きがあるのは感応しているからなのだけど、表層で受け取る要素が強いぶん、本質とはかけ離れていくような直感がある。換言すれば、芸としての深みはない。では本質に近いもの、芸として、なにがあるのだろうかと再考した。すると能が浮かんできた。能楽の足の動きは、水中のそれに近いと思う。スピードは劣るが、あの動きは、水中でも空気中でも、あまり変わらないような気がする。空気を粘度のある液体(気と言ってもいいのかも)として、受け流しているように見える。まるで蛇のようなすり足で、水の中を通る。

どういう回路で直結するのかよくわからないのだけど、僕の頭の中は、なぜだか「能」と「蛇」が結びついてしまう。その謎が、今回の水草からぼんやりと解けてきた。蛇は水中でも陸でも、同じ動きをしている。そんな動物はほかにないのではないだろうか。もしかしたら空中でも同じ動きをするのかもしれないし(龍)、呼吸さえできれば、宇宙でも同じ動きをするのかもしれない(ひも理論)。

粘度が違う領域を行き来する=彼岸と此岸を行き来する=時空間を行き来する。

いささか強引なのかもしれないけれど、だからこそ古(いにしえ)の人々に神格化されたのではないだろうか。

能の動きも水から空(くう)に在る。空を川の流れのように舞うその姿、万物の呼吸を映しているからこその演舞。「その息を感ぜよ」という教訓が、その花の奥に滴る蜜として、隠されているのではないだろうか。万物に宿る霊性に気づき、共にあるという実感を抱いて生きよという示唆が、その全体の動きに含まれているからこそ、型を守られて、普遍性(不変性)を獲得して、受け継がれてきたのではないだろうか。


 
 
 

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