2011/04/17

草枕

「草枕」という小説を読んでいる。

初めて読んだのは二十歳くらいの頃で、そのときは音楽的な小説だなあとか、先駆的な小説だなあという印象しか残っていなかった。それから時が経ち、グレン・グールドとの関係や、主人公が画工であることや、喧騒を避けて旅に出るという内容が、今の自分の興味と重なるところがあって、再読するうちに、あのころとは違う質感が小さな紙の束に宿ってしまい、手放せなくなってしまった。著者曰く、義理人情の世界から超越した、「非人情」な小説であり、「閑文学」である。

「山路を登りながら、かう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて画が出来る」

最近、自分はアトリエを都会から山奥に移した。するといくつかの反作用が起こった。人と距離を置いたつもりが、逆に縮まった。遠くにいるはずの人を、より身近に感じるようになり、近くにいる人もまた、より密接に感じるようになった。はじめて出逢った土地の人たちが、まるで身内のように近しい存在に思えてしかたがない。自然はどうか。目の前に森があり、川があり、鶯がいて、星がある。欲したものが、全部ある。だがその本質に近付いたつもりが、ますます遠い存在になってしまった。自然とは、まさに「非人情」の世界そのものであり、「気まぐれ」であるという実感だけを、掴んでしまった。俗界を離れた仙人のような達観など、夢のまた夢である。「草枕」の語り部もまた、那美さんという女性を鏡にして、逃れようとしているものに、近づいてしまっているような印象を受ける。金太郎飴のように切り取った哲学の中で、猫のように繊細に、近付いては離れてを繰り返すことによって、逃れられないものが、足跡として際だってしまっている。

「こまかに云えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧く 。着想を紙に落さぬとも鏘の音は胸裏に起る。丹青は画架に向って塗抹せんでも五彩の 絢爛は自から心眼に映る」

今、見えないストレスを感じている人もいると思う。静かな生活をしている木陰のような資質の人が、ほんとうは一番敏感なのかもしれない。なにかアクションを起こせる人は、幸せなのかもしれない。しかしなにもしなくても、なにもできなくとも、草を枕に空の青さを知るような、しとやかな閑時間にこそ、なにかを本当に変える広がりがあるのかもしれないという可能性は、押し潰されてはいけないような気がする。

 





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