2011/12/28

vanishing point(消失点)

深夜にジョギングをはじめた。寒くなってきたので体力を落とさないために始めたが、いつのまにか目的が変わっていることに気づいた。家は国道沿いだけど、山里なので夜になると車はほとんど通らない。普段なら絶対に姿を見せない用心深いタヌキを見ることもできた。道路のど真ん中を走っていると、星空に向かって走っているような覚醒が訪れる。昨晩見た星空は、今年見たなかで一番美しい空だった。

オリオン座の左上にベテルギウスという星がある。640光年離れたこの星は、来年2012年に爆発して消滅するという。なじみ深いこの形も、やがて誰も元の形を思い出せなくなるのだろう。星が消滅する瞬間に立ち会えるとは、なんという今生の幸運かと思う。感慨深いものがある反面、今生はこのままかもしれないという思いもある。正直言うと、どちらでもいい。自分を見つめるきっかけにさえなれば、それでいい。

山登りは景色と自分が同化していく感じがあるけど、ジョギングにはまったくそれがなくて、むしろ景色と自分がどんどん乖離していく。リズムが心臓の鼓動に似ているせいではないだろうか。とにかく僕はこの乖離していったときに訪れる、奇妙な反転のような覚醒を求めて走っているのだと気づいた。今夜も走れる、と思うとワクワクしてくる。星のおかげで、義務感が期待に変わっていたのだ。大空の星は自分の小ささ、人間の放漫を際だたせる。しかし同時に、まるで夜空を全部手に入れたような、大きな世界も自分の中に感じていた。人間は大きいのか、小さいのか。小栗康平監督の「眠る男」に出てくる、あの忘れられない言葉を反芻した。大気に揺らぐベテルギウスが、なぜだか泣いているように思えた。

大きな世界と小さな自分、大きな自分と小さな世界。そんな立場の入れ替えを走りながら楽しんでいると、通常の空間では実感できないはずの平行宇宙(パラレルワールド)を感じている自分に気づいた。目に見える世界や事物に重なって、もうひとつの世界が堂々と同時に進行しているような確信があった。生き生きとした世界が、実感として目の前に重なっていた。あまりにも直感的なので、このことについては、これ以上語れそうにない。しかしながら神秘体験という曖昧さではなく、自分が吹き飛んでしまうようなリアリティがあった。

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昨晩、道中のもっとも暗いゆるやかなカーブで、山影に落ちていく光を見た。その光は赤と青が重なったような光を放って消滅した。幻覚だろうけど、そのとき夜空にジュッと煙が舞いあがったように見えた。おそらく隕石が大気圏で燃え尽きたのだろうと思う。気の遠くなるほど長い旅の終点に、あの隕石はこの地球を選んでくれた。私たちが住むこの惑星が、あの隕石にとってのvanishing point(消失点)だった。

2011/12/22

神の粒子

日常的に当たり前に接している「情報」。常に観測者である人間はこの情報というものを、物質とは考えていない。もしくは考えられない。なぜなら「情報」は私たち人間の意識から生まれ、観測者である私たち人間という場でしか通行できず、反映(投影)されないから。光は人間(観測者)以外の場、人間の外に反映(投影)されているので測定できるが、「情報」は真逆、人間(観測者)に向かって反映(投影)されている。だから当然、測定しようとしたその時点で、パラドックスが起きる。しかし光だって最初はエネルギーをもった粒の集まりとは考えられず、どこかで視点の転換があったはず。色眼鏡を外し、視点さえ変えれば、本当の姿は見えてくるかもしれない。

情報は過去や未来からもやってくるし、スタートする前にゴールしていたりする。したがって光よりも速い。科学の常識を覆す光より速い「神の粒子」とは「情報」のことであり、その物質?は、探せば探すほど、遠くなる。観測しようとした時点で、場の状態が変化してしまうからである(シュレディンガーの猫)。神の粒子を捕らえる方法はただ一つ、私たち人間が場である以上、観測する側と、観測される側の立場の反転しかない。たとえば、実験のことを知らない自然な状態である人間を使って、人間以外の別の生命体に測定を依頼するしかない。こんなことができるだろうか?このへんが三次元体である人間の思考の限界で、科学の臨界点ではないかと思う。しかしこれが測定されて証明されれば、四次元の設計図ができる。すなわちプラモデルのような構造ではない、リアルな宇宙の本性を理解する手がかりになりえる。

情報には二種類ある。ひとつめは近代(科学)以後に作られたもので、もうひとつは近代(科学)以前に存在していたもの。たとえば爆発寸前であるオリオン座の左上の赤い星、ベテルギウス。この星は640光年離れているので、今現在、目にしている光は640年前のもの。すなわち室町時代の光であり、このデータは、近代以後にこの星に与えられた情報である。しかしベテルギウスには、ベテルギウスという名前をつけられる以前の、その星そのものの存在が放つエネルギー(情報)がある。その情報を開示したのは、光である。光によって情報が開示され、その開示された情報を観測して、近代(科学)によって新たな情報が与えられる。したがって、人間が観測する物質は、常にWイメージなのである。近代はイメージを二重にして都合良く世界を支配してきた。だから近代が崩れれば、その本性が見える。まずは事物の仮面をはぎ取り、近代以前の古代の情報にコミットする以外に、私たち人間の進歩はないのだろう。

情報を人間の意識という場を使って時空を自在に移動する、光より速い物質と考えると、シンクロニティは筋が通る。精神世界で言うところのアカシックレコードを設定しなくとも、そもそも情報は光より速いのだから、人間が観測できる唯一の場所が「光より速い物質が存在してはいけない世界」である以上、人間の外には、存在しない。確実にあるのに、確実に測定できない。しかしその力によって目に見える世界は作られている。これはパラドックスではなく、もちろんカテゴライズシフトしていないので精神世界でも宗教でもなく、言うなれば破壊された科学(近代)の破片に映しだされた真実なのである。

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ここ数日、自分の体験をもとに起こった共時性に関する謎の考察を深めようと、量子力学の世界を調べていた。本を読んだわけではなく、ネットで検索して誰かが書いたブログなどを読んだだけだが、とてつもなく魅力的であると同時に、量子力学の世界そのものにネクタイを締めすぎたような息苦しさを感じて、途中で投げだしてしまった。物理を理解するセンスがないのだと思う。しかし大きなヒントだけは拾い集めることだけはできたので、その破片を使って自分でパズルを組み立ててみることにした。したがって上記の考察はすでに誰かが違う形で、もっとわかりやすい言葉を使って理論立てて説明していることであることは間違いないと思う。

それでも自分で考えてみたかったのはなぜかというと、その方が「おもしろい」し、ワクワクするからである。老子のタオ(道)のように、詩的な言葉で表現するのが、もっとも真理に近いのだろうと思う。しかしそれもしたくなかった。その方法を選ぶ表現者がもっとも多いし、楽に思えたから。楽で大多数が群がるものは発見がなくて、つまらない。ややこしいことや苦手なことに、知らなかった自分を発見することの方が魅力がある。

物理が嫌いで赤点ばかり取っていた小さな脳味噌をあえて壊れかけている科学(近代)に突っ込んでみたのは、ワクワクする気配をその洞窟の奧に感じていたからだと思う。実際そこには新しい発見があった。自分の中にある自分を壊してくれる、新しい自分の価値観の種を見つけて植えること。その土壌を育てること。それはこれからの時代にとっても必要なことではないかと、自戒をこめて感じている。だからこうして、少なくてもいい、一人でもいい、誰かに、伝えたい。そしてなにより、芸術とは、哲学そのものであり、生き方だと思うから、みずからも考えざるを得ないのだ。

原発の問題をとっても、政治の問題をとっても、一筋縄ではいかないところがある。ひとりひとりが、多面体で物事を見つめたうえで、考え抜き、行動しなければいけない局面が、これからもっと増えてくると思う。そういうときに一番大切なのは、受け身ではなく、冷静に、しかも瞬時に情報を俯瞰する筋力を養い、常に「自分」で考えることだと思う。「自分」は心と躯(からだ)でできている。近代(科学)というバベルの塔は、神の怒りを買って壊されたのではなく、頭だけを使いすぎた設計図そのものに計算できない歪みが生じていた。現場では壁に亀裂が入っていたが、そのことに監督と作業員は気づきながらも、パテを埋めてごまかしながら建て続けてしまった。そのことに原因がある。これからは躯が教えてくれることに耳を傾けながらも、カテゴライズされた世界に逃げて味方を集って囲いを作らずに、小宇宙ではなく、大宇宙である自分と戦っていくことが必要なのだと思う。

大乗仏教という「神の粒子」は、時空を超えて私たちに「煩悩即菩薩」という言葉を送っている。「悩む事が即ち、悟りを開くことである」と。悩むのは、楽しい。

2011/12/17

シンクロニシティ

今に始まったことではないけれど、2010年からのシンクロニシティの頻発は、自分の中におさまりきらない気配があり、自分の中から溢れ出ようとするものがあった。これは絵を描きたいという、小さい頃から抑えられなかった衝動にとてもよく似ている。わけがわからないけど、有り余るものがあり、その力に自分が逆らえない。小学生のころ、テストの答案用意の裏に落書きしたときの快楽を思い出す。落書きについては先生によって対応が違った。許してくれそうにない担任のときには描いた後、消した。許されなくとも、描かずにはいられなかった。許してくれる担任もいたけど、おもしろがってくれる先生はいなかった。あのころ僕はもしかしたら、答案用紙の裏に絵を描きたいからこそ、やっつけ仕事で勉強していたのかもしれない。なぜこんなことを思い出したのか自分でもよくわからないが、こうなるともう、深く考えていったん外に出し、昇華するしかない。あのころのように。

二十代のときに周辺に起こったシンクロニシティのことについて考えているうちに、精神世界に溺れてしまったことがあって以来、科学の外側に対してはあまり深入りしないようにしてきた。そのころはテレパシーという感じで捕らえていたと思う。波長が合ったときだけ、情報や出来事が時空を超えて通じ合う、というような。しかし最近のシンクロニシティに関して思うことは、二十代のときとは決定的になにかが違う。

あらためて気づいたのは、シンクロは原因と結果が逆になっていたことだった。この原因と結果という言葉は、正確ではないのかもしれない。しかし今はこの言葉しか思いつかないので、使うことにする。シンクロは先に結果があってから、原因(と呼べるようなもの)が起こっている。いわゆる予知であり、予見である。誰が受信して、誰が発信したとか、そういうことはややこしくなるので考えないことにした。現象だけを見つめて、なにかしら答えを導きだしたいので。

たとえば一週間前から予定を立てて、生まれてはじめてドジョウを取りに行ったその日に、野田総理の、いわゆるドジョウ発言が飛び出した。通用されている力学なら、ドジョウというキーワードを耳にしたから(原因)、ドジョウを捕りに行ってみよう(結果)、という可能性の流れになる。また別の日にはバイクで知らない山道を走っていたら、偶然に壮大な菜の花畑に出会して感動した。すると翌日になって家人と知りあいから、近くに菜の花畑があるから行ってみなさいと連絡があった。これも通用されている因果関係、行ってみなさいと促されたから(原因)、行ってみる(結果)、いう流れに逆らっている。最近では森で赤い実を食べたあと、友人に食べたら死ぬ赤い実のことを教えられ、食中毒の危険を指摘された。その日の夜、近くの小学校でニラとスイセンを間違えた食中毒事件が起きていたことがわかった。大事には至らなかったが、全国ニュースに出てくるような扱いだった。これも事実が逆転していたなら、筋が通る話である。

今年一番印象に残っているのは、台風の翌日、家の前を流れている鮎喰川が信じられないくらい(2mくらい)増水したときのことだ。その日の鮎喰は、いつもの穏やかなエメラルドグリーンの姿とは一変して、荒れ狂い、灰色(モノトーン)の濁流となってなぎ倒した木々や葉を乗せて流れていく恐ろしくも、美しい姿に豹変していた。僕はその姿に311の洪水の情景を映していた。毎日見ている同じ川なのに、こんなにも見え方が違うものかと、近づけるぎりぎりの川辺に立ち、放心していた。そしてビショビショになって家に戻ったら、雑誌が届いていた。それは風の旅人という雑誌の空即是色という号で、告知していた発売日より少し早かった。そしてその雑誌の表紙が、たったいま見たばかりの濁流とほとんど同じ構図で同じ印象、色までそっくりの白黒写真だったのである。現物を受け取ったときの実際の現象としては、ほぼ同時と言ってもいいのだけど、表紙を決めるのは相当前のはずである。本来なら表紙にインスパイアされたから(原因)、同じような構図を無意識が求める(結果)はず。今回は台風まで予見していることによって森羅万象を巻き込んで、ダイナミックに因果関係が反転している。震災前にこの表紙を選んでいたとしたなら、311も予見していたことになる。だから記憶への残り方が普通じゃなく、忘れられないものになっている。告知している発売日より少し前(たしか一日前)でなければ、この絶妙なタイミングは生まれなかった。この細部にもまた、ただならなさを感じてしまう。

小さなものを含めると、まだまだ書ききれないことが起きている。このような度重なるシンクロが教えてくれたことは、因果関係の反転だった。シンクロには、通用されている感覚ではありえないと思える力学が介在しているということ。これは大げさな飛躍ではなく、アインシュタインが撤回した宇宙項Λの存在証明、反重力への兆しそのものではないかと直観している。勉強不足なので断言はしない。でも止まっている電車が動いているように見えたり、熱中している時間は短く感じたり、誰しもが頭と躯(からだ)で体験して納得できる出来事だからこそ、科学は説得力を帯びて世に浸透する。常識を覆すような数式はにわかには信じがたく、検証されてからあとから、あれはそういうことだったのかとハッとするものであり、そういう意味の直観を感じているのだ。

さらに311以後の世の中の動きと照らし合わせてみる。すると大きな発見があった。結果から始めようとする因果関係の逆転行為とは、今まさに少数の人が試みている、自分を捨てて、原因(心)を未来に送ろうとする行動と合致しているのだ。結果のために、という行動原則によって、近代というバベルの塔ができたのなら、原因(心)のために、結果から始まる、という、見返りを求めない、脳の新しい部位を使った行動原則とは、精神世界にだけ通用されている言葉だけが一人歩きしたものではなく、リアルな、本物の、社会の仕組みを換えてしまうパラダイムシフトに成り得るんじゃないだろうか。そんな大いなる可能性を、シンクロニシティ(共時性)は与えてくれた。

この気づきから導かれた情報(仮説)は、僕自身の小さな頭の中におさまるものではない。だからその負荷に耐えきれなくなり、こんなふうに言葉にして、ささやかながら第三者が見れる状態にしている。そういう意味で、僕自身のなにか特殊な能力による現象の考察ではまったくなく、波長が合うもの同士だけが密に交わせる特別なものでもなく、もちろんオカルトでもなんでもない。誰の前にでも当たり前に起こっている現象なのだけど、近代という壁が邪魔をして、その兆しを受け入れることができていないだけなのだ。

さらにマクロな視点でも共時性というものを全体的に俯瞰してみる。そこでもやはり因果関係の逆転がある。一連の共時性が、抜き打ちテストのようなもの。そう考えると(反転した)筋も通る。共時性から導かれる答えが、はじめからずっと目の前にあり(結果、または解答)、その答えを導くまでの数式を、自分ではない誰か(先生のような存在?)から求められていると感じていたからこそ、自分のキャパシティーを超える現象について考えざるを得なくなり、回答者として自分が、たった今、手を挙げてしまった(原因、または問題提起)。もちろん答えは間違っているかもしれないが、合っているかどうかは問題ではなく、過程を考察することにテストの意味がある。そんなふうに考えると、頭がすっきりする。言い換えるなら、もやもやしていたものが昇華され、外に出て行くのである。

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文章を書くときに、自分が書いている気があまりしないことがある。書かされているというほど受動的ではないけど、能動的にもかかわらず、自分が書いたものに発見が多いという矛盾した状態にある。絵を描くことにも同じことが言える。理解不能なモチーフだけど、大きな確信があり、その確信を文字通り、確かなものにして、信じたいからからこそ、時間をかけて描いているという気がする。それは導かれているような、わけのわからない呼び声を信じて、応じているということでもあり、わけがわからないものなのに、人生を賭けて、信じているという矛盾した状態でもある。シンクロも通用感覚では理解不能かもしれない。しかし理解不能だからこそ、共時性の海に満たされる。その海に潜って、確信したいものがある。海底には、静かに眠る財宝があるかもしれないし、見たことのない新種の生物がいるのかもしれないし、もしかしたら、パラレルワールドが広がっている地下帝国の入り口があるのかもしれない。海面にはすでに飛び込んでいる人たちが見える。なぜか呼吸をしているので、人間ではなく、私たちそのものの影ではないかと疑っている。それでも飛び込むのは怖いという人が大勢いる。しかし後ろ手に山火事による野火が迫り、もはや逃げ道がない悟ったとしたら、誰しもその海に飛ぶこむしかないのだ。

風の旅人 43号 空即是色
http://www.kazetabi.com/bn/43.html

2011/12/06

即身仏

ディスカバリーチャンネルの「即身仏の科学」という番組を見た。衝撃的だった。想像を絶する苦行を通し​て、生きながらにして、どのように死んでいくか。その様子を科学的な視点から追っていた。最終段階では湯殿山から涌​き出る温泉(ヒ素)を飲み、躯を内側から殺菌していくという徹底ぶり。この科学的な即身仏マニュアルを伝え​たのが、空海だった。

五穀断ち、十穀断ちといって水分のある穀物を避け、木の実や樹皮だけを食し、山を走って、体力を整えながら瞑想に入る。計十数年も準備をかけて躯を殺していくというのは、あらゆる求道的な狂気のなかでも、究極の姿ではない​だろうか。過酷な登山や、極限に挑むレーサーには、覚悟はあっても、あきらかに「死ぬとわかっている」という猛進​とは似ていて、違うような気がする。こういう極限状態の暮らしの中では、俗人とはまったく異なる脳の回路を使うのだろ​う。ここに強い興味が沸いてきた。臨死体験のようなオカルト的な興味ではなく、その向かい方というか、姿勢の中に訪れる感覚はいったいどんなものなのだろうかと。
 
死に近づいていく僧は、なにを思い、なに感じているのだろうか。たとえば木の実を口にしたとき、一般に言​う、「食べる」とは違う感覚であると取材を受けた僧は答えていた。朝陽が昇るのを見て、いったいなにを​思うのか。うまく想像ができない。これは生に執着しているからなのか。しかし、執着なくして、ど​うやって生きていくのか。おそらく小鳥が木の実を食べる感覚に、僧の精神状態は近いのだろうという​仮説が浮かぶ。小鳥には自分がない。目の前にある事物に対して、快、不快という二者択一の選択だけで生​きている(と僕は思う)。だから自分がある人間は、自分がない小鳥を見て、心が安らぐ。実際に僧を見たら、​そのように心が安らぐのだろう。

番組を見たあと、もの足りなかった部分を自分で調べた。そして即身仏と即身成仏があることも知った。空海​は一方で即身成仏義(生きながら仏となる)を確立し、一方で即身仏(仏になるために死ぬ)のマニュアルを密​かに伝えている。言葉で伝えられることと、伝えられないことを知っていて、お互いがそれを補う関係を作っ​ている。ここに密教のすごみがあり、空海のただならなさを感じてしまう。

今朝、薪を取りに入った森の中で、上記のことを反芻し、僧の感覚を探していた。小鳥が激しく鳴いていた。彼らと同じように​、赤い木の実を口にしたが、苦くて、とても飲み込めるものではなかった。「違う感覚」とは、いったいどこからやっ​て来るのだろうか。
 
 
 
 

2011/12/02

故郷

福島の川内村で自分の力で森を開拓して、その手で小屋を造り、沢の水を引き、田畑を耕し、太陽電池と風車で電力自給していた一家にお会いすることができた。今はキャンピングカーに太陽光発電機を積み、家バスという移動式住居によって、日本全国あらゆる場所で自然エネルギーの講座や、どんぐり食のワークショップを開いているという逞しい生き方をしている。

彼らは避難という、ある側面から見ると-(マイナス)に見える要素を、見事に+(プラス)に変換して、行動している。起こってしまったことをくよくよ悩んでもしかたない。しかしヤケになるのではなく、生きてるだけで丸儲けというこの状況を、まるごと楽しんでしまえばいいのだという覚悟の中に、満ち足りた揺るぎないものを僕は受け取った。

たとえばある小さな国の、当たり前の生活を営む人々を映した写真の中にも、なぜこのような質素なつつましい生活の中で、こんなにも幸せそうな、満ち足りた表情ができるのだろうかと、その瞳が心から離れないことがある。その瞳には私たち(僕が)が失ってしまいかけている、触ると砕けて粉々になってしまいそうな、繊細なものが映っている。そのような心から離れない繊細で豊かな要素は、実はどんなところにも必ずちらばっている。見過ごされそうな小さな場面で。それをすくい取れるかどうか、だと思う。

もちろん満ち足りた表情のその根底には、計り知れない深い哀しみの土壌がある。しかし人間にはその哀しみを、エネルギーに転換する装置(力学)がもともと備わっていて、そのエネルギーは家族や友人、先人や失った命の存在によってさらに増幅して強固なものになるのではないだろうか。僕が彼らに実際にお会いして感じたのは、この-を+に変えてしまう、人間の中に備わっている自主エネルギーそのものだった。換言するなら、人間そのものが自然エネルギーであり、即ち、人間とは自然の一部であるという真実を体現しているのである。

ここ数日、もし自分が故郷を追われた立場だったらと考えていた。もし一人だったら、戻っただろう。しかし家族が一緒なら、新天地を探しただろう。このふたつの答えの狭間に、僕は故郷とはなにか、という答えを見つけたような気がした。故郷とは、人と人との断つことのできないつながり、離れがたい結びつき、それは家族であり、友人であり、先人であり、失われた命。そういう目に見えない絆、責任感の中に、目に見えない故郷があるのではないだろうか。故郷は目に見えるものと、目に見えないものと、ふたつある。どちらかが欠ければ、どちらかを強烈に求めてしまう。戻れないからこそ、望郷の想いが募るように。海外にいるからこそ、日本を憂うように。そういう人たちと、共有して、分かち合いたいものが、たしかに僕の中にも在る。

ソーラーのらや http://solar-noraya.com/

2011/11/16

笹舟

以前から、自分という器、人間という躯が、川を流れる笹舟のようなもので、ほんとうは生きていることにはなんの意味もなく、ただ流れて、大海に消えていくだけの、儚い存在でしかないという刹那を感じていた。しかし現状という有様を憂いたり、表現の問題を考えたり、日本という歴史を紐解いたり、人間という起源を自分なりに辿っていくうちに、その笹舟の上に、なにかとても大切なものを乗せているのではないかという感慨(予感のようなもの)を、いやおうなく、持つようになってきた。

笹で編んだ舟だから、もろい。あらゆる天災によって、あっというまに解(ほど)けて、川底に沈んでしまう。しかしなんとか運んだその地点からは、別の笹舟が、かわりに背負ってくれる。なぜなら、そんなふうに、自分自身も別の笹舟から受け継いできたという記憶(遺伝かもしれない)があるから。しかしなにを運んでいるのかは、最後までわからない。運ぶことに意味があって、笹舟そのものには、なんの意味もない。生きることも、死ぬことも、一切無意味。無意味だからこそ「なぜ川を流れているのですか?その流れはどこに辿り着くのですか?そもそも笹でできた私という舟を編んだのは、どなたですか?」という様々な疑問が沸いてくる。

その疑問には、すでに答えが含まれている。「あなたは運ぶために存在する。それは細い糸を紡ぐということで、笹で舟を編むことでもあります」。わかったようなわからないような答えが、竹藪から聞こえてくる。竹藪は暗くて怖い。人間よりも怖い。竹藪はときどき自然と呼ばれ、優しいとか、癒されるとかいう都合の良い概念を植え付けられる。しかし竹藪はどんな存在にも支配されることはない。そもそも竹藪は私たちの源泉であり、大いなる記憶だから。そして竹藪そのものは、声を持たない。竹藪の中から聞こえる笹の声は、風の音である。この風こそは、神通。神が通る道。

その道で蛾(が=我)は異(こと=事)に出逢い、その道中で、私心(わたくしごころ)ができあがり、さらに竹藪に潜ろうとする志士たちは、私心を捨て、異(事)を斬り、火に身を投げて、自分を殺す。自分の頭で考えずに、既得権益にすがりついている人たちには、蛾(我)にも蝶にもなれない。芋虫のまま、繭(まゆ)のまま、その背中に羽根がついていることも知らずに、この世に震えている。笹舟になにも乗せていない虚しさから逃れられないまま、あわゆるものが影であることに気づかずに、小さな世界で、死に脅え、無名の志士たちの足音を暗い部屋で聞いている。

笹舟に乗っている大切なものを意識すると、大海に散るだけの、永遠に続こうとする哀しみが、勇気や躍動に反転する瞬間が訪れることがある。その瞬間は「大海を飲み込む一滴の水滴」という言葉の持つイメージに近い。私たちの祖先、突然今生を去った愛すべき人たち、生まれてすぐ消える新しい命、祖国のために、桜の花びらのように散っていった私たちの同胞、今もなお、誰にも看取られずに土の下で眠る英霊たちは、今生を去るその瞬間に、紛れもなく、意識を拡大して、大海を飲み込む一滴の水滴となって、私たちの川となり、同時に矛盾なく、竹藪に戻り、笹となって、私たちそのものを形成している。そしてときどき私たちは、風を呼び、その声を聞こうとする。

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私たちが見ている(脳が選んでいる)限定された世界とは、別の視点から物を見て、現実を整合すると、あきらかに別の秩序でできた世界(断片)が現れる瞬間がある。その秩序の中では「大海を飲み込む一滴の水滴」のような意識の拡大が常となる。そしてその常の秩序を導き出すひとつの手がかりとして、アインシュタインが撤回した宇宙定数(Λ)が、今生に蘇生したのではないのだろうか。

すでに進行しているパラダイムシフト、その意識改革と、福島の問題と、極私的な表現の問題。相容れないはずのそれぞれの問題が、最近僕の中で、ぴったりと寄り添うように、川の流れとして融合して、ゆるやかに同時進行しはじめている。

2011/10/31

霧剣



今日の剣山には驚かされた。雨の屋久島に負けない迫力があった。




アンドリュー・ワイエスのような風景が、無限に向かって広がっていた。




なにも探していないときに、描くべき対象が向こうからやってくる。

こんなに嬉しいことはない。


2011/10/22

美(beauty)

大きな壁が二つある。どちらも自分(人間)が生んだ壁らしい。ひとつめの壁は人間が生まれた(火を使った)と同時にできたらしく、とても老朽化しているが強固で、どす黒く、広大で果てがなく、死なない限り、壁の向こうを見ることはできない。その壁の表面は魑魅魍魎が隠れているような、この世のものとは思えないおどろおどろしさに覆われていて、近寄るのもままならず、崖から飛び降りるような恐怖がある。しかし私たちはそこに吸い寄せられてしまう。崖を覗いてみたくなる衝動には逆らえない。その衝動を信じて、ゆっくりと歩み寄り、目を凝らして壁をよく見ると、恐ろしかったその表面が、まるで惑星の表面のように変貌する瞬間があり、この世のものとは思えない美しさにたじろいでしまう。そしてもしかしたら、たった今、自分が見ているこの壁は、この地球の表面、私たちの足元そのものではないかという勘ぐりも、心のどこかから沸いてくる。やがて鑑賞者である自分の立場が反転してしまうような目眩が訪れる。壁のしみが、自身の立っている地面のような気がしてくる。見ていたはずなのに、気がつくと見られていたような、鏡の迷路に迷い込んだような錯覚に捕らわれ、見るものと見られるものの立場の逆転に自意識が翻弄されたその隙間に、自分という当たり前だった存在が、ふと消えてしまう瞬間が訪れる。この矛盾を日常の世界にまで大切に持ち帰って、静かに受けいれた後には、世界の見え方が少し変わっている。

もしかしたら芸術とは、この壁を人々に見えるような形、即ち、美(beauty)に変換する仕事なのかもしれない。写真も絵画も音楽も舞台も映像も、芸術と呼ばれているすべての仕事の大義とは、みなここに通じているのではないだろうか。そしてこの壁の存在を知る人は少ないし、この壁を登ろうとする人は、もっと少ない。それだけに、やりがいもある。

もうひとつの壁は、前述した壁を見たことがある、またはその存在を知っている人の前にだけ立ちはだかる、「壁に気づかない人たちが大勢いる、という壁」。換言すれば「はだかの王様による、はだかの王国の城壁」。そして矛盾するようだけど、壁を見た人も、はだかの民の一員であり、その中に含まれている。はだかの民は常に前進している。一歩一歩進化していると、思いこんでいる。そしてその道は永遠に続いていて、果てがないとも思っている。しかし本当はひとつの丸い「球」の上を歩いているだけで、いずれは同じ場所に戻ってくる。しかし少しばかり景色が変わっているので、そこが「もといた同じ場所」とは気づかないし、ましてや球の上を歩いているとは想像もつかない。そしてその行進(更新)を繰り返し、その道程のことを、時間と呼んだり、永遠と呼んだりする。

美(beauty)はときに多くの民と波長が合い、受けいられるが、はだかの王様によって利用され、形を歪められることも多くある。しかしそれでも、誰からも見向きもされないような場所から美(beauty)は生まれ続け、歪みを加えられなかったささやかな本物だけが、受け継がれて育っていく。

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話は変わるが、以前、立岩神社の天の岩戸に登ったときのことである。天の岩戸とは、日本の神話に登場する、岩でできた洞窟で、太陽神である天照大神(あまてらすおおみかみ)が隠れ、世界が真っ暗になってしまったという伝説の舞台のことだ。入り口の説明文を読み、天の岩戸に辿り着き、巨石の裂け目を見たが、なぜだか物足りないものがあった。そしてなんとなく神社のはずれの道があったので、進んでみた。誰も通らないような、荒れた獣道だったが、かまわず進んだ。すると山頂付近で奇妙な場所に出た。そこはまるでダイダラボッチ(昔話に出てくる巨人)が腰を下ろしたかのように、木々が重なって倒れていた。周りの木々は何事もなかったかのように青々としていて、その空間だけ、不自然にぽっかりと穴が空いて、太陽の陽射しが大地に届いているのである。僕はこの場所に「ただならない」ものを感じた。その正体は今もよくわからないままだけど、なにかわれわれが感知できないものの傷痕をこっそりと見せられたような気がして、天照大神の正体を見たような、徳を得たような気持ちを獲得することができた。

このような啓示とも思える出逢いは、わかりやすく、さあ、こちらですよ、と矢印で示されているような道を歩いていても、訪れてはくれない。事実、天の岩戸を確認する作業だけで満足してしまっていたら、この場所にはたどり着けなかった。ちょっとした違和感を感じて、その違和感を埋めたいというどこからともなく沸いてきた力が、啓示を誘った。そんなふうに、恩寵に至る過程には、必ずといっていいほど、踏み絵とも言えるような隠し階段がしかけてある。その階段の先で、出逢える。だがそこにまで足を踏み出す人はごく少ない。大多数は違和感を感じても、なかったことにして本当の自分を置き去りにする。そしてなにごともなかったように群衆の行列に戻る。大多数の行列に紛れて生きる方が、自分で考えないでいいし、楽だし、甘い汁も受け取れるから。でもそれではたして、本当に「生きている」って言えるのだろうか?

自分の存在すら揺るがしてしまうような未知との遭遇は、ただならない壁と、ままならない城壁を超えようとする過程の中にある。大げさかもしれないけど、その壁の先にあるものは(またはその壁の構造が)、もしかしたら、宇宙の構造そのものなのかもしれない。充分に可能性はあると、僕は思う。まずはその壁の存在に気づくことから始めないといけないのだとしたら、その気づきは、路傍の石や、アスファルトの隙間から生える雑草や、枯れて腐りかけた野草や、うち捨てられた流木。そしてドブ河や風化した空き缶、見捨てられた廃墟や山奥に捨てられた産業廃棄物、こっそり過疎地に建てられた原子力発電所、誰かが後から価値をつけたようなものまで冷静に、動物の腐敗を見届けるような研究者の心をもって等価値を注ぎ込み「世界を色眼鏡を外してきちんと見る」という眼差しの鍛錬の連続から、化学反応のように生まれてくるのではないだろうか。

簡単に手に入る世界中の流行り物を拾い集めて、大多数の共感の家を建てたところで、結局は手に入れた瞬間の快感の副作用で、ただただ虚しさだけが残るばかり。深いところで自分を慰めてくれる存在には、いつまでも出逢えない。それならば余計な物は極力捨てて、躯ひとつで「人間」を解き明かす旅に出る方がずっといい。結局のところ私たちは、木の葉ひとつが風に吹かれて落ちる流線の不思議や、雨音の不可解なリズム、秋虫の織りなす羽根の音の重奏の深淵の中に、最後はやがて戻っていくのだから。


2011/10/14

涅槃(ニルヴァーナ)


今年の3月にアトリエを神山に移したとき、冬に向かっての大きな楽しみが二つあった。ひとつはこの近くの瀧で冬の間だけ見られるという氷爆。もうひとつは、この薪ストーブだった。すでにお風呂用に薪ボイラーがあるけど、家の外なのであまりゆっくりと落ち着いて炎は見られない。その点薪ストーブは部屋の中でくつろいで炎を見ることができる。そして部屋がとてつもなく暖まる。さらにお湯も沸かせるし、芋も焼けるし鍋もできる。薪を取りに森に入るのも楽しい。一石五鳥、六鳥である。こんなに鳥にぶつかる大きな石は奇跡というほかない。炎とは、人間が人間になるために唯一(私たちが認識できない領域から)許可された恩寵のような気がする。許されていない力を振り回した放漫と無責任が、心の豊かさを蝕み、これから長く人間を苦しめようとしている今だからこそ、そのことに気づくことができたのかもしれない。

昔から炎を見るのが好きだった。小学生のころ、放課後に用務員さんがゴミを燃やす背中を見て、とてもうらやましかった。近づくと怒られたので、大人ってずるいと思った。だからがんばって大人になった。

炎には形がない。瞬きひとつしたその後には、まるで違う姿をして、実体が掴めないくせに、強烈な存在感と気迫があり、それは生命力そのもののようであり、明王の本性を見ているような畏怖に包まれる。そして熱い。近づくのもままならず、触れると激烈な苦痛とともに傷を負い、命を奪うこともある危険がある。しかし、だからこそ禁じられた遊びを嗜んでいるような甘い蜜、トキメキがある。さらに物質がエネルギーに転化する様としては、色即是空を目の当たりにしているような趣があり、一瞬にして瞑想状態にもなれる。

炎は怒りや煩悩の象徴として例えられることも多いけど、その猛々しさの奧には、永遠と見まがうような深い安らぎの境地、涅槃(ニルヴァーナ)が潜んでいるように思える。真実(仏性)は煩悩の炎が消えたときに現れる。などどカテゴライズされた宗教は悟ったように言うけども、僕には炎そのものが仏性に見えたり、また、同化したり、鏡を見ているような気持ちにもなれる。涅槃とは、煩悩の炎が消えた清らかな場所ではなく、混沌としていて、形もなく、常に変化し続けて、熱く、近寄れないような場所にあるのだと思う。それはすでに、生きていることと死んでいることの区別すら無化してしまうような領域のことを指し、煩悩そのものを受け入れて見つめ直すという意味においては、炎とは、清らかな静寂の裏返し、反動、反逆の化身なのだと思う。そうでなければ、これほど猛々しい炎の躍動に、心が深い安らぎと静寂を獲得する理由が見つからない。




2011/09/18

雨剣


豪雨の剣山、頂上付近は、立っているのがやっとの暴風雨だった。誰一人登山者ともすれ違わなかった。そして刀掛の松の周辺、風雨に揺れる一本の松の木を見ていたら、自分がどこかに消えてしまったように思えた。wild side(極私的であり、幅広い意味での、荒野)に入ったとき、ときどきこういう瞬間が訪れて、それを自分では啓示と受け止めていたのだけど、今回はいつもとは違い、なにか手がかりのようなものを感じていたので、下山したあと、つい先ほどの体験を追いながら考えていた。そしてぼんやりとだが、答えが出た。「自分が消える」とは即ち「ひとつの概念が消えた」せいではないだろうかと。四次元時空にいる人間は、三次元しか知覚できない(蟻が人間を把握できないように)。だから把握しやすいひとつの概念の物差しを当てて座標を作り、ここにいる場所を点として、世界(時空)を「私たちにとって、都合のいいように」把握しようとする態度を取っているのではないか。

だとすると、私たちは運命として逃れられない色眼鏡をかけていることになる。しかし、おそらく世界とは、普段、スクリーンに投影された映像を見て、それを現実だと思いこんでいるだけの幻影であり、私たちが認識しているものとは、もっと別の形をしているのだろうと思う。世界を本当に知りたければ、スクリーンの上を調べても、けっしてなにも得られないのだ。投影されたものではなく、その光源を調べるしかない。その光源とは、どこにあるのか。それは自分の中にあるのだろうと僕は思う。概念とは、我々の意識が創り出した物差しなのだから。

世界は私たちにとって都合のいいようには、存在していない。


2011/09/12

ロスコの部屋

ロンドンのテイトモダンで見た、マーク・ロスコの作品が忘れられない。お目当ては彼ではなかった。もちろん彼の名前は知っていたのだけど、美術の教科書で見た、その壁の染みのような暗い作品にはまったく興味が持てなかった。しかし僕は翌日も、また次の日も、テイトモダンに吸い寄せられ、ロスコルームと呼ばれる、彼の作品だけを飾った部屋の中心にいた。

人と同様、作品にも出逢い方と言うものがある。そのとき僕は初めての海外での滞在ということもあり、情熱よりも不安の方が大きかった。知りあいもいない。英語もカタコトだし、財布の中身も心許ない。滞在中、僕はほとんどの時間をギャラリーや美術館を見て回ることに使った。絵画なら、わかるという自負があった。共通の言語を求めることによって、少しでも不安を埋めようとしていたのだ。結果、自分を試すつもりが、誤魔化してばかりいた。滞在中、いけない土地に迷ってしまい、キッズたちに襲われて、命がけで逃げ出したこともあった。誰も助けてはくれなかった。トイレで破れた上着を捨て、汚れた服を洗った。その日もロスコの部屋に飛び込んだ。するとなにもかも忘れることができた。なにも言わないはずの画布がなにかを僕に語り、慰めてくれているように思えた。ロスコの部屋に入ったとき、僕はわかる、とか、わからない、とかの、認識を超えたものを感じていた。躯が先に反応して、頭がその反応の所以をまったく理解していなかった。それでもよかった。一人じゃないと思えることが救いだった。一見なんでもない画布のシミに、心が響き合い、共鳴していた。そしてロスコの部屋を出たあと、親友を失ったような、ひどく寂しい気持ちになった。そして帰り道、この作者は、この作品を創ったとき、さぞかし孤独だったんだろうなと思った。

日本に戻り、彼の事を調べた。あのとき見た作品群が、シーグラム・ビル内のレストラン「フォー・シーズンズ」に依頼されたものの、スノッブなレストランの雰囲気に幻滅し、作品がただただ金持ちの食事のアテにされて消費されるのを嫌い、契約を破棄したために宙づりになったという、いわく付きのシリーズだったことを知った。さらにその作品群の寄贈先をテイトギャラリー(現テイトモダン)に決めた直後、彼は自殺している。

彼の作品の本性は、印刷では「まったく伝わらない」と断言してもいいと、僕は思う。今、日本にいて彼の画集を見かけても、買うことはないだろうし、展覧会があったとしても、あのときを超える呼応は期待できない。それならば、思い出を抱えて、熟成して自分の糧にしようと思う。好きな画家は?影響を受けたアーティストは?と聞かれても、彼の名前を挙げることはないだろう。でも忘れられない、きっといつまでも。そういう出逢い方だった。

自分が描いているのは、ロスコの真逆、具象絵画だ。昨年、剣山シリーズで具象と抽象の境のようなものを試してみたが、「自分の中で」、失敗した。でも自ら決めてしまっていた展覧会を断る勇気もなく、自分を誤魔化して発表した。すると思いがけず好評だった。緻密に描ききらないという手法を取ったので、作品の価格を低く設定したせいか、小品が何点か売れてしまうという反作用も起こってしまった。これではこの先、道を誤る可能性がある、と思った。作品が評価されるのは嬉しいけど、自分に嘘はつけないと思った。自ら望むことがよくわからなくなって、得体のしれないものに飲み込まれてしまうような気がした。だから僕は一旦自分をリセットした。それにしてもなぜ当時、具象と抽象の境に疑問符を置いたのか、今となって思い返してみると、それはロスコの部屋で起こったことを、なんとか自分で理解しようと無意識で足掻いた傷痕だったように思う。結果、表層だけをこねくり回すという浅い実践だけで終わってしまったので、後悔が生じてしまったのだ。

あのとき異国で感じた、あの感応の正体。それは使い古されている言葉なのだけど、確かに「祈り」のようなものだったと思う。神仏に向かうときのような、手を合わせたときの神妙な気持ち。怖いと想う人の目には、ものすごく怖く映り、優しいと想う人の目にはには、ものすごく優しく映る。そして心から求めるものなら、ちゃんとそこに映る。そういう神道で言うところの「鏡」、仏教で言うところの密教像のような多面性が備わっていたように思う。日本に戻ってから、具象と抽象について考えてはみたが、納得のいく答えはでなかった。それどころか、何年も経っているというのに、いまだ、あの時の躯の反応に、頭がついてきていないままのような気がしている。今はもう吹っ切れていて、抽象に触れることはないが、それでもときどき、ふとあのときのことを思い出すことがある。そんなときはこんなふうに思う。今、自分はまったく別の方法で、自分にとって最良の方法で、あのときの一枚の画布のシミを、模写(写実)しているのだろうと。

追記

ロスコ・ルーム(シーグラム壁画)は千葉にある川村記念美術館に常設されています。
http://kawamura-museum.dic.co.jp/collection/mark_rothko.html

2011/09/07

魂の死

2011/09/01

眠る男

小栗康平監督作品「眠る男」を見た。

冒頭から、フレーミングが気になってしかたがなかった。なぜここにこれが映っているのか。まったく関係ないような電線や家財道具、看板。画面の奧で(撮影していることに気づいているかどうかもわからないように)ごく当たり前に人や車やバスが横切る。心象を伝えるような俳優のアップショットもなく、気がかりな言葉を残して唐突に絵が変わったりする。なにを書いているかよく見えない背景の看板、チラッとだけ見えている積み重なった洗濯機や、どこにでもありそうな橋や、見覚えのある山、空、雲、鳥。あらゆるものが偶然のようにフレーミングされている。多くの監督が排除しようとする事象を、あえて作為的に取り込んで、混沌とした大きな渦を、化学反応のように、ゆっくりと発生させているというのか、例えばなにもない青空に、魔法をかけて雲を発生させている実験を見ているような印象があった。

終始ただならない気配のようなものを感じていた。その気配とは別に、見覚えのある、どこか懐かしいような日本の風景が同時進行しているで、極個人的な思い出を取り戻しているしているような感慨もつきまとう。ふとゴチャゴチャしているなあ、と思っていたものが、ピタッと等価値になる瞬間がある。そこで人間とは世界の主役ではなく、ある一部分を形成しているだけ存在ということを気づかされる。でもちゃんと自然の一部として存在している。共存している。吹き飛ぶような芥子粒のひとつひとつに、物語と矜持がある。眠る男を枢軸にして、表と裏、あの世とこの世を逆転にさせた混乱が、さらにその物語を際だたせる。それを見せられて、引き裂かれそうな自分がいる。そんな自分を見透かしたように、男は、物語の終盤、ブロッケン現象に映る影に向かって「人間って、大きいんかい?小さいんかい?」と尋ねる。観ている自分も、あのときまさに、そう尋ねたかった。代弁してくれたような爽快感があった。ほっとするのと同時に、自分自身に問いかけられているという気持ちにもなる。虹の中にいるのは、自分の影だったことに気づかされる。問うてみたかったのも自分だが、問いかけられたのも、自分だったという矛盾が異界への扉を開き、世界が二重とも三重とも呼べるような存在であることの気づきによって、視界が開けたような快感に満たされる。

フレームの中に在るものすべてが、緻密に計算され、周到に準備されたもの、または無意識が呼び寄せた、本人すら気づいていない(のではないかと僕が思うだけ)、奇跡的な存在の集合体であることにはっきりと気づかされたのは、能のシーンだった。これはもう、僕には語れない。観て頂くしかない。人智を超えた恐るべき力の介在が、はっきりとここに見える。もちろんここだけではなく、恐るべき力は、物語のそこかしこに散りばめられている。「恐るべき力」の源泉のようにも見える、自然の摂理に逆らった「魔」のエネルギーを喚起させるような、ゆっくりと半時計回りに動く巨大な水車。唐突な鳥の声、台詞。女が森で対面する眠る男。鹿。吸い込まれる煙突の煙、蝿、竜巻。当たり前のように通るバス、車、人、電車。当たり前のような商店街、自転車置き場、民家。すべてに満遍なく愛情が注がれ、見逃してしまいそうな「当たり前」や「意味不明」や「どこにでもある」が説得力を放ち、そこから渦のようにして物語が紡がれる。だからこそ鑑賞する側の無意識に溜まった要素を浮かびあがらせたうえで、どこに行ってしまうかわからないような、風に舞う落ち葉のような気まぐれを追いかけているようなテンポが我(が)を誘い、そこはかとなく完結したうえで、そこはかとなく無限に向かって解き放たれ、極私的な物語となりえる。

僕はこの映画を見て、希望(希なる望み)とも言い換えることができるような、気高い負荷を背負うことができた。この負荷は、とても自分を逞しくしてくれる力だ。自分を根本から否定し、打ち砕き、とことんまで絶望させてくれたうえで、性根もろとも蘇らせてくれる可能性と勇気だ。その力は啓示となって、この先、大切な場面で僕に直接語りかけてくれるのかもしれない。今すぐではなく、忘れたころに。もしかしたら鹿の口を借りてかもしれない。もしかしたら雨音を借りてかもしれない。もしかしたら鈴虫の音を借りてかもしれない。「君が変わらずして、なんで世界が変わるはずあるんだい?」「おい、どうかしてないか?ちゃんと自分を信じろ」「大勢に迎合する必要がどこにある?」「よく考えろ。それが大事なことか?」「今ここに、なんで君は生きてる?なぜ君は死ななかった?」そしてグルグル回って、この問いに帰結することだろう。「人間って、大きいんかい?小さいんかい?」

それにしても心を揺さぶる作品は、いつだって大勢とか大多数とかの影に隠れて、まるで踏み絵のように、そこに至る過程に階段を仕掛けてあり、辿り着くその過程、そのものまでもが作品の中に組み込まれているような不思議がある。だからこそ恩寵であり、類い希なんだろうなあと思う。


風の旅人 編集だより 「人間は大きいのか、小さいのか」
http://kazetabi.weblogs.jp/blog/2008/04/post-2dcf.html

2011/08/27

生まれいずる悩み

昨日、ふと有島武郎の「生まれいずる悩み」という小説が無性に読みたくなって本棚を探したが、なくしてしまったようで見つからなかった。たえず物持ちを少なく、という習慣があるので、度重なる引っ越しの際に処分してしまったのだと思う。それでもどうしても気になって検索していたらネット上に公開されていたのでそれを読んでいた。http://www.aozora.gr.jp/cards/000025/files/1111_20600.html 

はじめて読んだのは美大に入学してすぐのころだったと記憶している。タイトルだけは心に残っていて、その内容を忘れてしまっていたのだけど、冒頭の「私は自分の仕事を神聖なものにしようとしていた」で始まる作者の懺悔のような独白から、「君」と呼ばれる画家志望の青年の複雑な心境を一瞬で伝える「どうでしょう。それなんかはくだらない出来だけれども」という言い回しまで読んだとき、この小説に書かれているすべてのことが、心太(ところてん)のように記憶の箱からするすると湧き出てきた。こうなるともう、読み進めることが既知の事項をただただ確認することだけになるのだけど、そういう確認作業をするシステマティックな脳味噌のどこかで、細くて、今にも切れそうな回路の糸が、もぞもぞとミミズのように蠢いているという、頭の中を掻きたくなるような、奇妙なざわめきというか、痒みのような異物感があった。

そして読み終えてしばらくしたあと、ある極私的な記憶が蘇ってきた。それは奇妙な偶然の一致の記憶だった。そして今になって唐突に思い出したその記憶のことを考えているうちに、そのときにはわからなかった、その偶然の一致の意味が解けた。自分にとってはとても大きな問題なのだけど、あまりにも極私的なことなのでここで言葉にして昇華するのは逡巡するのだけど、たしかに、たしかに、解けたのだ。それはようするに、その記憶とこの本の内容が、なんの関係もないように見えるのだけど、実のところ本人にはうまく把握できないような複雑な経路で絡み合いながら繋がっていて、「ふと」思いだす。という直観という形を借りて、そのほぐれが解けていったのだと思う。読中の妙なざわめきは、その糸が複雑な回路を辿るときに生じた胸騒ぎだったのだろう。

ふと思い出す、というのは、きっかけが必要だと思う。そのきっかけとは、直観という名前を借りているけど、その正体とタイミングはあらかじめ決まっていたような確かなもので、化学反応のような必然なのだと思う。その直観の火花が、潜在意識が淡々と流れていく日常から丁寧に拾い集めていた情報や言葉でできた、大きくて燃えやすい知識の無秩序な束に、火をつける。そして野火のように風を受けて広がった炎は、顕在意識に気づきを与えたうえで、脳内を焼け野原にしてくれる。野火は知らず知らずに溜まっていた洗脳をも焦がし、まさにこれから、という芽が広がろうとする、肥えた畑と可能性の種を与えてくれているような気がする。

この小説を始めて読んだあのときには、微塵も想像すらできなかったであろうことが、現実に広がっている。その現実の有り様そのものが、「きっかけ」の正体であり、タイミングなのだと思う。

すべてをなげうって芸術家になったらいいだろうとは君に勧めなかった。と述べる作者は、最後に「君」の背中を押さなかった理由をこう述べている。

「それを君に勧めるものは君自身ばかりだ。君がただひとりで忍ばなければならない煩悶--それは痛ましい陣痛の苦しみであるとは言え、それは君自身の苦しみ、君自身で癒さなければならぬ苦しみだ」

背中を押したその先が、生である保証はまったくない。むしろ、そうでないことの方が多いのだろうと作者は考える。そう考える冷静と刹那が、苦の中にこそ生があるという尊厳の細部を、漁民の生き様をしつこいくらいに描写するという形で試みているが、その試みが逆に、この小説全体に宿る、懺悔のような、祈りの気配を際だたせ、すっきりとした読後感や、単純な答えを拒んでいるように思える。現実には作者である有島武郎はモデルとなっている木田金治郎に、上京して絵の勉強をしようとするのを制して、故郷(北海道岩内)に留まって描き続けなさいと助言をしている、そういう事実もまた、興味深いものがある。

その夜、寝支度をしていたら、大きな虫の音が聞こえはじめた。やけに近いなあと音を辿っていたら、洗濯場に一匹の鈴虫がいた。毎晩聴いているはずなのに、そのときだけは特別な音色のように聞こえた。いつもとは違う心の在り方が、聴覚を狂わせたのだ。それはまるであの世からの呼び鈴のようだった。あの世とこの世が、すれ違ったような気がしていた。



2011/08/05

光明

高千穂に行った。なんとなく以前から気になっていた、聖地を一本の矢で刺し貫いたような直線、レイライン。鹿島神宮から始まり、皇居、明治神宮、富士山、伊勢神宮、吉野山、高野山、剣山を通るそのレイラインの終点に、高千穂はある。地図以外の情報を一切頭に入れないままに、なにも期待せず、導かれるままにその終点を目指していた。

バイクの野営旅で疲れはピークに達していたのだけど、国見ヶ丘の壮大な雲海に迎えられ、高千穂に入った途端にいつのまにやら疲れが蒸発して、躯が喜びはじめて元気が戻っていた。道の駅に辿り着き、看板を読んで神話の里だと知る。なんだろうこの雰囲気。大昔にここで栄えた、小さくて豊かな文明が確かにあったという説得力に溢れていて、それらを裏付ける遺跡群が丁重に受け継がれている。ここはどことなく偶然辿り着いたアトリエ、神山の風景に似ていた。細胞が喜んでいた理由は、その風光明媚による視覚情報の恩恵だけではなく、我が家に帰ってきたような単純な安心感で心が笑っていたのだ。

弾丸ツアーだったが、急ぎ足でひと通り土地を見て回った。やはりどこに行っても、ホッとする。気持ちがよく、知らない土地に懐かしさがある。もし自分が地図のない時代にここに辿り着いたのなら、この辺に家を構えようと試みたのかもしれない。温泉に入ったあと、路肩にバイクを止めた。太陽を隠した濃い霧が空一面に立ちこめ、すべてを一瞬にしてリセットしてしまうかのような力強い光明を放っていた。

むずかしいことはなしにして、とりあえず旅っていいなあ、と思った。




2011/07/26

千年

福岡県立美術館と石橋美術館、両館同時開催の髙島野十郎展を見に行った。野十郎の血縁の方とお会いして、原画も見せて頂いた。おそらく1920年前後に描かれた初期のものらしきその作品は、ヨーロッパ渡航直後に大量に捨てられた作品群の生き残りだった。渡航後に明るい色調に変わるので、作品を破棄することによって、それまでの自分から脱皮を計ったのだと思う。サインがなかったため出品されなかったらしいが、それはこの作品が未完成だったからだ。もしかしたら野十郎は未完の絵が世に出るのを望まなかったのかもしれない。しかし僕はこの絵に宿るエネルギーのほんの入り口だけでも、多くの人に見て欲しかった。だから血縁の方にお願いして、写真を一枚だけここで公開させていただくことにした。僕はこの作品に対して小さな責任を負うことによって、間接的にもっと野十郎に近づきたかったのかもしれない。

美術館に展示されているものではなく、本物の作品をこの手に抱いたとき、絵筆の先に集中する野十郎の背中がはっきりと見えた。それはとても鮮明だった。僕は絵を見ている肉体から魂が抜け出して、彼のアトリエを窓辺からそっと覗いている小鳥になっていた。

野十郎はいまだ謎が多い。今回、その謎を解き明かしたり、ますます複雑にさせる、新たに見つかった作品や写真が多くあった。今後、彼の研究が進み、知られていなかった作品も、もっと世に出てくると思う。彼が田中一村と並び、世に迎合せずに画業に邁進した、日本を代表する本物の芸術家であることは間違いないのだけど、今回の展示のように、新たな作品や写真が見られるのなら、僕はもっと多くの人に野十郎という名前を知って、作品に触れてもらい、彼の名を世に知らしめたいと思う。「そんなこと、どうでもいいんだよ」と天から彼の笑い声が聞こえるのだけど、油絵の特性を研究し尽くし、長持ちするためにさまざまな工夫を施して「自分の絵は千年は大丈夫だ」と発言した彼の隠された意志を、僕は千年先の人たちに紡いでいきたい。




2011/07/13

矛盾

真夏のような強い陽射しの午後、川で身体を冷やしていたら、鹿の角を見つけた。角とはいっても、頭頂部の骨がついているので、頭蓋骨だ。周囲からは絶対に見えない、川辺の窪んだ小さな谷のような場所にあり、ずっしりと重かった。角以外はなにもなく、おそらくは一ヶ月ほど前の悪魔のような濁流によって他の部位は流され、重い角のついた頭頂部だけが流されずに此処に留まったのだと思う。地元の人に見せたら、生え替わりに落とす角だけならよくあるのだが、鹿の骨は珍しいとのこと。また鹿は死に場所に水場を選ぶ習性があるという貴重な話を聞くことができた。食べられるくらいなら、流骨になった方がいいという本能なのかもしれない。あらゆる野生動物は年をとって身を守る力がなくなると、敵から見つかりにくい場所を探し、そこで身を隠して静かに死を待つという。

この話を聞いたあと、制作途中の油絵を見ていて、はっと気づかされたことがあった。この絵は崩れ落ちそうな巨木の根本にできた小さな洞窟に向かって、一匹のうなだれた鹿が歩いている背中が中心になっている構図だ。なぜこの構図に惹かれているのかよくわからないまま描き進め、描く前から「暗示」というタイトルをつけていた。題名が先に降りてきたので気になっていたのだけど、その謎が今回の鹿骨のおかげですっかり解けた。これは菩提樹を見つけた仏陀のように、渡世を彷徨ったあげくにやっと死に場所を見つけて、まさにそこで骨を埋めんと最後の力を振り絞る老鹿の背中だったのだ。とにかくその洞窟にさえ辿り着きさえすれば、悟りと永遠の安らぎを得て、死をもって大きく世界のシフトが変わりそうな予感がある。そういう此岸と彼岸の裂け目、まるで女性器のような天の岩戸を感じさせる半開きの時空のシンボルとして、多くの取材写真の中からこの構図を潜在意識が選びとり、水辺で風化しようとしていた鹿の骨が手がかりになって、顕在意識にまで押し上げられたのだ。

表現とは人間が生きるために最低限必要なことではない、という事実を、忘れないようにしている。百姓や漁師の方がはるかに尊いと思っている。未曾有の天災と放射能という人災は、ジャックナイフのような鋭さでその事実を、あらゆる角度から、表現に関わる人たちの喉元に突きつけたはず。それでもなお、意味などないはずの表現に理由をつけるとしたら、その人が、その人なりに、希なる望みを託し、それなしには生きていけないから、生きていたいから、死にたくないから、続けているのだろうと思う。僕はそうだ。それなのに老鹿の背は死を誘い、涅槃を暗示している。描かれたものには、ちっぽけな自分の意志など、まるで反映していない。そういうつじつまの合わない矛盾を見つめたときに、人知を超えた無限なる英知の介在を感じてしまう。




2011/07/02

写楽の猫

眉山の東、東光寺というお寺に東洲斎写楽の墓がある。ギリシャで肉筆画が見つかって研究が進んだことから、ほぼ阿波徳島藩の能役者である「斎藤十郎兵衛」が写楽の正体と確定して、この墓が写楽であることは証明されたのだけど、ずいぶん前から僕はこの墓が本物かどうかには興味がなく、関心はもっぱら写楽の墓に住む、人なつっこくて目つきの悪い三毛猫の方に集中していた。

世に出た写楽は姿を消したが、彼はただ斉藤十郎兵衛に戻っただけで、斉藤十郎兵衛が残した写楽という魔法は、見上げれば手に届きそうな距離で、今もなお星のように輝いている。十郎兵衛は本当に幸せな人生を送ったのだなあ。人目を気にせず、すやすやと眠る写楽の化身を見ていると、そう思わずにはいられなくなる。


追記

2011年11月20日、いくら探しても、写楽の猫はいなかった。住まいにしていた小屋もなく、お寺の隅に手作りのお墓があった。大きめの阿波青石をぽんと置き、そのまわりにぐるりと小さな石を並べて苗を植えただけの、素朴で可愛いお墓だった。墓石にはなにも書かれていなかったし、住職に聞いたわけではないのだけど、この石の下に写楽の猫がいることはすぐにわかった。もし僕が飼い主だったら、これとまったく同じような墓を作ったことだろう。

どうしてもお墓の写真を撮りたくて、我慢できなくなったので、一枚だけ撮らせてもらった。あとで見たら、写真の右上に、大きなぼんやりとした影が映りこんでいた。僕はこの影を、三毛のものだと直観した。最後の挨拶に、降りてきてくれたのだ。この世に姿を見せることができないから、こっそり木陰でも利用したのだろう。本当に嬉しかった。

近くにあるなじみの画材屋さんに行ったときは、必ず東光寺に足を伸ばした。はじめて逢ったのは、真夏のひどく暑い日だったと記憶している。二年前か三年前、そんなもんだったと思う。写楽の前で手を合わせていると、とぼとぼと足元にすり寄ってきた。片眼が半分つぶれて、ひどく目つきの悪い猫だなあと思ったが、とても人なつっこく、離れても離れても、とぼとぼついてきて甘えてくる。年のせいか、歩くのがしんどそうだったので、何度も何度もなでてやって、これでおしまいさようならと手を振ったものだ。

今年の夏は日陰で休んでいた。僕に気がつくとすり寄って出てきたが、墓前の水を頻繁に飲み、直射日光が痛そうに思えた。長生きしろよと思ったが、初秋にもう一度逢って、それっきり先に逝ってしまった。



                            再追記

2013年1月18日、図書館に行ったついでに隣接している王子神社へ。ここは「猫神さん」の愛称で親しまれているところで、実際に人なつっこい黒猫がいる。その子を触って遊んでいたら、後ろの藪(やぶ)のなかからミャーミャーと鳴き声が。声は聞こえど姿はあらず。よくよく探したら、目に傷を負った子猫が隠れていた。寄ってはこないのだけど、こちらに向かって、なんどもなんども鳴いている。この子は写楽の猫の生まれ変わりだと確信した。魂にこんにちは。また逢えてうれしい。



                           再々追記

2015年9月5日、最近よく三毛猫を見かける。もしかしたらずっとそばにいたのに、気づかなかっただけなのかもしれない。警戒心は強くて、近づくと離れていく。目つきが悪くて、そこがまたかわいい。あれは三代目、写楽の猫の生まれ変わりだろうと思う。根拠はなくても信じられる自由がある限り、たとえ肉体は消滅しても、永遠の命は続いていく。







2011/07/01

月兎

近隣さんのご厚意で借りた畑に撒いていた菜っ葉と大根とほうれん草の種が最近になって芽生えてきたのだけど、半分以上、いや三分の二くらいが芽生えてすぐに虫に食われて死んでいた。特に無農薬にこだわったわけではないし、手入れしなかった自分も悪いのだけど、散々な畑を見ていると、農薬なしで植物を育てるとはこういうことか、と否応なしに実感させられた。それでも最初の葉をおとりにして、何枚も食べきれなくなるくらいに生えてしまえと言わんばかりに新葉を伸ばす種がいて、そういう逞しい種を見ていると、食べる前から元気をもらったような気になる。


なんとなく穴が空いた一枚をもぎ取り、青空を透かせて見ていたら、ただそれだけのことで、なにものかに心を奪われたような、放心して、自分がちりぢりに砕け散ってしまったような気持ちになってしまった。急に視界がプラネタリウムのようになったので意識が驚いただけなのかもしれないが、無意識の方に静かに訴えかけるなにかが、確かにあった。心を奪うものには、言葉を超えた広がりがあるのだから、本当はこれ以上なにも語るべきではないのだろうけど、新葉のために、また、お腹を空かせた虫たちのためにボロボロになった葉を見ていると、その無惨な姿に、利他心、自己犠牲の精神を投影せずにはいられなかった。今昔物語に出てくる逸話、帝釈天が化けた老人を助けるために、火の中に飛び込み、自分の体を食べさせようとした「月兎」のような、捨身。死の美学。もともとそういう美学が内包されているから、心を奪われたのか、心を奪われたから、美学が紡がれたのか、どちらが先なのかは、よくわからないのだけど。とにかく自分のちっぽけな価値観を揺るがす月の兎が、一見無駄死にの、この穴だらけの暗幕の奧に見えたような気がしたのだ。